介護事業を長年経営してこられた多くの経営者様は、50代後半から60代に差し掛かる頃、「そろそろ世代交代を考える時期」を感じ始める方も多いのではないでしょうか。中でも、親族、とりわけ子どもへの承継は自然な選択肢として検討されます。
一方で、親子間の承継には特有の難しさやリスクが存在するのも事実です。実際、弊社へご相談に来られる介護事業者の中にも、当初は親族内承継を前提に考えていたが、途中で崩れてしまったという方もいらっしゃいます。
例えば、子どもを現場や経営に関わらせてみたものの、経営判断や対人調整がどうしても合わず、「このまま任せるのは難しい」と感じたケースや、親としては継がせるつもりだったが、子ども本人から「介護業界で経営を背負う覚悟が持てない」「別の道に進みたい」と断られたケースなど、決してめずらしい話ではありません。
本コラムでは、介護事業における親族内承継の基本から、実際に起こりやすい親子間トラブルの背景、そして万が一、親族内承継が難しい場合の「第三者承継」という選択肢までを整理します。「親子だからうまくいくはず」という思い込みから一度距離を取り、自社と家族にとって本当に無理のない選択は何かを考えるきっかけとして、本コラムを読んでいただければ幸いです。
親族内承継とは、経営者の子どもや配偶者、兄弟姉妹など、血縁・婚姻関係のある親族に事業を引き継ぐ方法を指します。中小規模の介護事業では長らく主流とされてきた形であり、「後継者=子ども」という前提で話が進むことも少なくありません。
一般的には、子どもを役員や管理者として現場に入れ、徐々に経営に関与させながら、最終的に代表権や株式を移転する流れが想定されます。しかし、このプロセスが曖昧なまま進むことが、後の親子間トラブルにつながってしまうことがあります。
介護事業の承継は、他業種と比べても難易度が高いと言われます。理由の一つが、介護保険制度への理解、行政対応、指定基準の遵守など、経営者には専門性が求められるからです。
そのため「親の背中を見て育ったから大丈夫」「現場経験があるから何とかなる」という感覚だけで承継を進めると、経営判断の局面で壁にぶつかります。このギャップが、親世代からの過干渉や、子世代の反発につながるケースも少なくありません。
親族内承継の最大のメリットとして挙げられるのは、「これまで築いてきた理念や想いを引き継ぎやすい」という点です。創業に至った背景や、地域との関係性、職員一人ひとりへの想いなどを、時間をかけて共有してきた関係性があることは、親族内承継ならではの強みと言えるでしょう。
また、外部の第三者に事業を譲る場合と比べ、職員や取引先に対して心理的な安心感を与えやすいという側面があります。特に地域密着型の介護事業では、「社長の息子・娘が引き継ぐ」という事実そのものが、事業の継続性を感じさせ、表面的には大きな混乱が起きにくいケースも少なくありません。
一方で、親族内承継だからこそ生じやすい課題があることも、現実として押さえておく必要があります。最も多いのが、「身内だから」という意識によって、経営におけるルールや責任の所在が曖昧になってしまうことです。
本来であれば、役割分担や評価基準、権限移譲のタイミングを明確にしたうえで段階的に承継を進めるべきところを、親子関係への配慮が優先され、重要な判断が先送りにされてしまうケースが見受けられます。その結果、現場や管理職が「誰の判断に従えばいいのか分からない」状態となり、組織全体の士気が下がってしまうことがあります。
また、子世代の覚悟や経営者としての経験が十分に整わないまま承継が進むと、親としては不安から口出しせざるを得なくなり、結果として親子間の対立が深まるという悪循環に陥ることも少なくありません。
親族内承継のメリットとデメリットは、決して切り離されたものではなく、表裏一体の関係にあります。理念を共有しやすいという強みは、裏を返せば「言わなくても分かるはず」という思い込みを生みやすくなります。また、安心感があるという評価は、ときに変化や改革のスピードを鈍らせる要因にもなり得ます。
だからこそ重要なのは、「親族内承継が良いか悪いか」を二択で考えることではなく、メリットを活かしつつ、デメリットが現実になった場合でも対応できる準備をし、冷静に見極めるということです。
親族内承継は、適切な準備と覚悟が伴えば、非常に価値のある選択肢です。一方で、その前提が整わないまま進めてしまうと、事業だけでなく親子関係にも影響を及ぼしかねません。この点を踏まえたうえで、次章では、親子間トラブルがどのような場面で顕在化しやすいのかを具体的に見ていきます。
介護事業の親子間承継では、特別な事情があるというよりも、多くの経営者が似たような場面で悩まれています。誰かが悪いわけではなく、親子だからこそ起こりやすいすれ違いと言えるかもしれません。
承継が進む過程で起こりやすいのが、経営に対する考え方のズレが顕在化することです。親世代は安定運営や既存の関係性を重視する一方、子世代は人材確保やICT活用、新たなサービス展開など、変化を求める傾向があります。この価値観の違いが整理されないまま日々の意思決定が行われると、小さな判断の積み重ねが大きな対立につながっていきます。
さらに、介護事業特有の問題として、現場職員が子どもを経営者として受け止めきれない場面もあります。親の代から長く勤めている職員ほど、無意識のうちに親を基準に物事を判断しがちです。その結果、子世代の指示や改革案が正当に受け取られず、孤立感を深めてしまうケースも少なくありません。
こうした状況が重なると、事業運営だけでなく、親子の関係そのものに距離が生まれてしまうことがあります。
親族内承継では、先述のとおり気持ちのすれ違いや親子関係の問題が表面化しがちですが、実務面でも多くの落とし穴があります。その中でトラブルになりやすいのが、「株式」と「経営権」の引き継ぎです。
親族内承継において、まず避けて通れないのが株式の承継方法です。介護事業の多くは株式会社(※2006年会社法施行以前に設立された特例有限会社を含む)として運営されており、議決権株式の帰属は、原則として会社の支配権を意味します。
よくあるのが
株式の引き継ぎ方法には、生前贈与・相続・売買(親族間譲渡)などがあります。それぞれに、
といった論点が絡みます。介護事業の場合、不動産(施設・土地)を法人保有している、内部留保が厚い、役員借入金がある、補助金・助成金による資産形成がある、といった事情により、非上場株式の評価額が想定より高く算定されるケースも少なくありません。
しかし一方で、収益力や将来リスクの影響により評価が抑えられる場合もあり、事前の試算をしてから承継を進めるようにしましょう。
株式の承継と並んで重要なのが、経営権をどのタイミングで、どこまで渡すかという点です。
実務ではよく、
代表取締役は交代したが、議決権の大半は先代が保有
金融機関対応や重要取引は親が継続
最終意思決定は依然として先代が行っている
という“名ばかり承継”の状態が発生します。
会社法上、株主総会の決議事項、取締役会(設置会社の場合)の決議事項、代表取締役の業務執行、はそれぞれ権限が分かれています。そのため、代表変更=経営権移転ではありません。
この状態が続くと、
といった問題が起こりやすくなります。
一方で、いきなりすべてを任せるのもリスクが高いため、段階的に権限を移す、決裁ルールを明文化する、親は「経営」から「助言」に立場を変えるなど、意図的な役割分担設計が欠かせません。経営権の承継は、書類上の手続き以上に、「誰が、何を、最終判断するのか」を整理する作業だと言えます。
介護事業の親族内承継には、一般企業とは異なる特有の難しさがあります。
例えば、
これらは、帳簿や理屈だけでは引き継げません。特に多いのが、「現場経験が少ないまま経営を引き継ぎ、職員との距離感をつかめない」「親の“顔”で成り立っていた関係性が、承継後に一気に崩れる」といったケースです。
結果として、離職や利用者減少、収支悪化につながることもあり、「やはり向いていなかった」と承継そのものが頓挫することもあります。だからこそ、介護事業の親族内承継では、株式・経営権の承継と同時に、現場・対外関係の引き継ぎ設計まで考えることが大切です。
親族内承継がうまくいかなくなる要因のひとつは、事業承継を「家族の話」として扱いすぎてしまうことにあります。親子だからこそ、感情や配慮が先に立ち、本来整理すべき経営の話が後回しになってしまうのです。
しかし事業承継は、本来、感情論ではなく経営課題として捉える必要があります。5年、10年といった中長期の時間軸で、「いつから経営に関わるのか」「どの範囲まで権限を移すのか」「最終的にどこまで任せるのか」を、少しずつ整理していく必要があります。これは親子関係のためではなく、事業を安定して続けるために欠かせないプロセスです。
現実には、「まだ先の話だろう」「今は忙しいから」と先送りされることが少なくありません。その結果、いざ承継の話を本格的にしようとした時には、時間的な余裕も選択肢も限られてしまいます。慌てて進める承継ほど、親子双方にとって負担の大きいものはありません。
また、親子間では遠慮や思い込みから、経営に対する本音が表に出にくくなります。継ぐ側の不安や迷い、継がせる側の期待や不安が、言葉にされないまま積み重なっていくことで、後になってすれ違いとして表面化します。だからこそ、意識的に時間を取り、経営に対する覚悟や将来像、不安に感じている点を言葉にして共有することが大切です。
こうした話し合いは、気持ちだけに任せるのではなく、記録を残す、定期的な場として設けるなど、仕組みとして行うことが有効です。例えば、年に一度でも将来について話す「家族会議」の場を設けるだけでも、状況は大きく変わります。感情が絡みやすいテーマだからこそ、形式を持たせることで冷静な議論がしやすくなります。
さらに、税務や法務といった個別論点にとどまらず、事業承継全体を俯瞰できる第三者が関わることで、話し合いは「親子の意見の違い」から「事業をどう続けていくか」という前向きなテーマへと移行しやすくなります。親子だけで抱え込まず、経営の問題として外の視点を入れることも、円滑な承継に向けた重要な一歩です。
親子間でのトラブルを避けるために、あらかじめ知っておきたいのが「第三者承継」という選択肢です。第三者承継とは、親族以外の法人や個人に事業を引き継ぐ方法を指し、近年の介護業界では決して特別なものではなくなっています。
ここで大切なのは、第三者承継を「最終手段」や「うまくいかなかった結果」として捉えないことです。親子間で無理に承継を進めたことで、事業の運営が不安定になったり、家族関係にしこりが残ってしまったりするケースを考えれば、第三者承継はトラブルを避けるための現実的で前向きな選択肢かもしれません。
第三者承継という選択肢を知っておくだけでも、親族内承継への向き合い方は大きく変わります。「どうしても子どもに継がせなければならない」という思い込みから一歩距離を取ることで、親子の話し合いが感情的になりにくくなり、より冷静な対話がしやすくなります。
また、第三者承継を前提に、自社の市場価値や条件を把握することは、自社の強みや課題を客観的に見つめ直す機会にもなります。その結果、親族内承継を選ぶ場合であっても、役割分担や条件設定をより現実的に整理することができます。
仮に最終的に親族内承継という道を選んだとしても、「もう一つの出口」を理解していることは、親子双方の心理的な余裕につながります。第三者承継を知っておくこと自体が、親子間トラブルを未然に防ぐための支えともいえます。
親族内承継を検討されていても、後継者となるご家族の意思や適性によっては、親族内承継が最適とは限らない場合もあります。
ここでは、親族内承継を検討したものの、最終的に第三者承継(介護M&A)を選択された当社の成約事例をご紹介いたします。
ご相談をいただいたのは、九州地方でグループホームとデイサービスを運営されていた事業者様です。創業からおよそ20年にわたり、代表ご夫妻お二人で現場と経営を支えてこられました。代表様は70代に差しかかり、「元気なうちに将来を整理しておきたい」という思いから、事業承継を真剣に考え始めていらっしゃいました。
当初は、ご子息への親族内承継を想定されていましたが、ご子息からは「自分は経営者には向いていないと思う」「家族に負担をかけたくない」という率直な気持ちが伝えられてしまいました。親としては複雑な思いを抱えつつも、その意思を尊重し、親族内承継以外の道を検討することになったそうです。
複数のM&A仲介会社に相談される中で、当社にもお声がけをいただきました。事業の状況や代表ご夫妻の想いを丁寧に伺う中で、特に重視されていたのは次の点でした。
条件面以上に、「安心して任せられるかどうか」が重要な判断軸となっていました。
譲受先として選ばれたのは、介護事業全般の拡大を進めていた法人様でした。既存エリアから管理者の補充が可能で、事業所間の連携体制を描けていた点に加え、グループホーム運営の実績やノウハウが評価されました。
さらに、買手側の社長の人柄や意思決定のスピード感、承継後に専任責任者を派遣する体制が、代表ご夫妻にとって大きな安心材料となりました。
最終的には、株式譲渡による事業承継が実現しました。交渉終盤には、譲受側の資金調達が想定より長引く場面もあり、売主様が不安を感じられる局面もありましたが、初期段階から条件やスケジュール、想定課題を整理し、密にコミュニケーションを取っていたことで、信頼関係を保ったまま、無事にご成約へと至りました。
承継後は、譲受企業の運営体制が整ったことで、職場環境はさらに改善され、過去に退職した職員が戻ってくるほど働きやすい事業所になったとお伺いしています。
一方、売主である代表ご夫妻は、これまで仕事中心だった生活から一転し、趣味の時間を楽しまれています。奥様はサークル活動に参加され、ご主人はインターネットを通じた囲碁の対戦に熱中されるなど、穏やかな日々を過ごされているそうです。
この事例は、「親族内承継ができなかったから仕方なく第三者承継を選んだ」というものではありません。ご家族の意思を尊重し、事業・職員・利用者様、そしてご自身の人生を守るために選ばれた、前向きな承継の形だったと思います。
介護事業の事業承継において、親族内承継は今も多くの経営者様が選ばれている、大切な選択肢の一つです。ご家族に事業を引き継ぐことで、想いや理念をそのまま次世代につなげられる点は、親族内承継ならではの価値といえます。
一方で、後継者となるご家族の考え方やライフプランによっては、慎重な話し合いが必要になる場面もあります。そうしたときに、第三者承継という選択肢をあらかじめ知っておくことは、「より納得のいく判断をするための準備」と言えます。
実際に、第三者承継の可能性や条件を把握したうえで、改めて親族内承継を選ばれるケースも少なくありません。選択肢を比較しながら検討することで、親子間の話し合いが整理され、結果としてスムーズな承継につながることもあります。
事業承継は、「いつか考えること」ではなく、経営の延長線上にある重要なテーマです。後継者の有無にかかわらず、元気なうちから情報を集め、相談できる相手を持っておくことが、事業・従業員・利用者、そしてご家族を守ることにつながります。
当社では、親族内承継・第三者承継のいずれについても、経営者様の想いを大切にしながらご相談をお受けしています。まずは現状整理や情報収集からでも構いませんので、ぜひお気軽にご相談ください。
マネージャー
T.FUNAMOTO
