「近隣のグループホームが、採用難を理由に別の事業者へ承継した」
「長年地域で運営されてきた老人ホームが、大手法人の傘下に入った」
こうした話を、以前よりも身近に感じるようになった方も多いのではないでしょうか。
人材不足や物価高騰、制度対応の複雑化などを背景に、介護業界においても M&Aは特別な選択肢ではなく、事業を続けるための現実的な経営判断として定着しつつあります。
本コラムでは、介護施設M&Aを取り巻く最新の市場動向から、ニーズの高い施設類型、売却・買収それぞれのメリット・デメリット、具体的な手続きの流れ、そして実際の成約事例までを解説します。
介護M&Aを検討する上で、市場の全体像を把握することは不可欠です。日本の介護市場は、他産業に類を見ない「需要の確実性」を備えた成長市場であり、2026年現在はその大きな転換点にあります。
2024年度(令和6年度)の介護保険制度にかかる総費用(介護保険給付費+利用者自己負担分)は、厚生労働省の統計によると 約11兆9,381億円 と過去最高を更新しました。前年度(令和5年度)の約11兆5,139億円と比較して 前年比約3.7%増 と、介護サービスへの支出は着実に拡大しています。
高齢化の進行に加え、要介護認定者数の増加やサービス利用の多様化を背景に、介護保険財政の規模は今後も拡大が見込まれています。こうした流れを踏まえると、2026年度以降には総費用が12兆円を超える可能性は十分に高いといえるでしょう。
さらに2026年度には、+2.03%の臨時介護報酬改定が予定されており、処遇改善を中心とした報酬の底上げが行われます。これは介護人材の確保・定着を目的とした重要な施策である一方、事業者にとっては収益構造や経営判断に大きな影響を与える要素でもあります。
利用者の自己負担分を含めた「総市場規模」という観点で見れば、介護サービス市場は依然として大きなボリュームを持つ成長分野です。その一方で、人材不足やコスト増への対応が求められるなか、M&Aによる規模拡大や経営基盤の強化を選択する事業者が増えている背景も、こうした市場環境と無関係ではありません。
出典:令和6年度 介護給付費等実態統計の概況(令和6年5月審査分~令和7年4月審査分)|厚生労働省
いわゆる「2025年問題」団塊の世代がすべて75歳以上の後期高齢者となる節目を通過し、介護業界は2026年を迎えました。
これまで市場の関心は「どれだけ需要が伸びるか」「市場規模がどこまで拡大するか」といった“量”の議論が中心でした。しかし現在は明らかにフェーズが変わり、介護市場で重視されているのは、生産性の向上と安定的な人材確保です。需要は伸び続ける一方で、それを支える供給体制の持続性が問われる段階に入っています。
介護サービスへの需要自体は、今後も中長期的に堅調と見込まれています。2040年には介護保険給付費が約25兆円に達する可能性があるとも示唆されており、介護市場が縮小産業になる可能性は低いと言えるでしょう。
一方で、その成長の恩恵を受けられる事業者と、そうでない事業者との間で、経営の二極化が進んでいます。
この差は年々拡大しており、単に需要があるだけでは事業を継続できない時代に入っています。
市場規模が拡大を続ける一方、介護現場では慢性的な人材不足が続いています。厚生労働省の推計では、2026年度に約240万人、2040年には約272万人の介護職員が必要とされており、現状の延長線では人材供給が追いつかないことが明らかです。
このような環境下では、ゼロから事業を立ち上げる新規開設よりも、既存の人材・利用者・運営基盤を引き継ぐM&Aが、より現実的な経営判断として選ばれるケースが増えています。介護施設M&Aが注目されている背景には、単なる拡大志向ではなく、持続可能な経営を実現するための選択という側面が強くなっているのです。
出典:第9期介護保険事業計画に基づく介護職員の必要数について|厚生労働省
一般的に「老人ホーム」といわれる介護施設には、さまざまな種類があり、高齢者や支援が必要な人々が快適な生活を送るためのサポートを提供しています。
入居型の介護施設は、介護保険制度や関連法令に基づき、以下のように分類されます。
これらはいずれも、「入居」+「継続的な生活支援・介護提供」を前提とした施設であり、M&Aの対象として検討されるケースが多い領域です。
介護施設M&Aはすべての施設類型で同じように活発というわけではありません。
現在、買い手ニーズが明確に存在し、実際に成約が進みやすいのは、収益モデルが成立しやすく、かつ人材・運営の再構築によって改善余地のある入居施設です。
まず、介護付き有料老人ホームは、入居型施設の中でも最もM&Aニーズが高い分野です。
介護報酬による安定収益が見込めることに加え、施設内で介護サービスが完結するため、運営の標準化や本部管理との相性が良い点が評価されています。大手事業者や多拠点展開を進める法人にとっては、エリア拡大と同時に人材・利用者を一括で確保できる手段として、買収ニーズが継続的に存在しています。
次に、住宅型有料老人ホームもM&Aの対象となるケースが多い施設類型です。
単体では収益が不安定になりやすい一方、訪問介護・訪問看護と組み合わせることで収益性を高められる余地があり、既に在宅系サービスを持つ法人にとってはシナジーを生みやすい施設といえます。特に、稼働率が一定水準を保っている施設や、立地条件の良い物件は、運営改善を前提とした取得ニーズが高まっています。
サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)も、近年M&Aニーズが高まっている施設の一つです。サ高住は不動産と介護サービスの要素を併せ持つため、介護事業者だけでなく、不動産会社や投資ファンドが関与するケースも見られます。自社で訪問系サービスを展開している事業者にとっては、入居者基盤を確保できる点が大きな魅力となっており、運営体制の再構築を前提にした譲受が進んでいます。
「認知症の方を受け入れられるグループホーム」の重要性は高まっています。介護付き有料老人ホームと並んで、認知症対応型グループホームは将来的に欠かせない介護インフラの一つとして位置づけられており、M&Aニーズが安定して存在する分野です。
1事業所あたりの規模は小さいものの、複数棟をまとめて取得することで収益性や管理効率を高めやすく、地域密着型でのドミナント戦略と相性が良いことが特徴です。個人オーナーや小規模法人から、組織力のある法人への承継ニーズが強く、今後も一定のM&A件数が見込まれます。
一方で、軽費老人ホーム(ケアハウス)や特別養護老人ホームについては、制度上・法人形態上の制約が大きく、株式会社などが行う一般的な「売却型M&A」の対象になるケースは依然として限定的です。主に社会福祉法人によって運営されている施設の場合は、営利目的での譲渡が認められていない点が大きな特徴です。
ただし近年は、後継者不在や人材不足、経営管理の高度化への対応を背景に、社会福祉法人同士の合併や事業承継、法人再編といった形での「承継型M&A」は着実に増加しています。特に特別養護老人ホームを中心に、単独法人での運営継続が難しくなり、近隣法人や広域展開法人の傘下に入ることで、事業の継続性と地域介護体制を維持する動きが目立つようになっています。
最大のメリットは、事業継続の道を確保できる点にあります。
後継者不在や人材不足、資金繰りの不安を抱えている場合でも、M&Aによって運営主体が変わることで、入居者の生活や職員の雇用を守りながら事業を次世代につなぐことが可能です。
また、売却によって経営者個人のリスクや負担を軽減できる点も大きな利点です。借入金の整理や将来の設備投資負担から解放され、引退や次の事業への挑戦といった選択肢も広がります。
さらに、大手事業者や成長企業の傘下に入ることで、人材採用力や運営ノウハウ、ブランド力の活用が可能となり、施設単独では難しかった経営改善やサービス品質向上につながるケースも少なくありません。
一方で、売却後は経営の主導権を手放すことになります。
これまで大切にしてきた運営方針や細かな判断について、買手側の方針に委ねざるを得ない場面が生じる点は、心理的な負担になりやすい部分です。
また、職員や入居者、その家族への説明や理解を得るプロセスが不可欠であり、情報開示や調整に一定の労力を要する点も無視できません。条件次第では、売却価格や雇用条件について希望通りにならないケースもあります。
買収の最大の魅力は、時間を買える点にあります。
新規開設と比べ、既存の入居者・職員・許認可を引き継ぐことで、短期間で事業規模を拡大でき、エリア展開やドミナント戦略を加速させることが可能です。
特に入居系施設は、稼働率が安定していれば早期に収益化しやすい点も特徴です。既存施設との統合による管理コスト削減や、人材・設備の共有によるシナジーも期待できます。
また、地域で長年運営されてきた施設を引き継ぐことは、地域医療・介護への貢献や信頼獲得という側面でも大きな意義があります。
一方で、買収には見えにくいリスクも伴います。
人材不足や老朽化した設備、過去の運営課題など、表面化していない問題が引継ぎ後に顕在化する可能性があります。
また、職員の離職や運営体制の再構築など、PMI(統合後の運営)に手間と時間がかかる点も重要なポイントです。想定していたシナジーがすぐに発揮されないケースも少なくありません。
そのため、買収にあたっては、施設類型ごとの特性や地域特性を踏まえたうえで、慎重なデューデリジェンスと中長期的な運営計画が欠かせません。
売却側(売手)のM&A手続きと流れ
売却側はまず、後継者不在、人材不足、将来の設備投資負担など、自社施設が抱える中長期的な課題を整理します。廃業ではなく第三者承継を選ぶことで、職員や入居者の生活を守れるかどうかを検討する段階です。
次に、「いくらで売りたいか」だけでなく、雇用継続の条件や引継ぎ期間、経営関与の有無など、売却において何を重視するのかを整理します。この方針が、その後の買手選定の軸になります。なお、この段階で方針が明確に定まっていなくても問題はありません。専門家に相談しながら、他の事例や選択肢を踏まえて徐々に整理していくケースがほとんどです。
M&A仲介会社や税理士事務所、金融機関等に相談し、施設概要書や簡易財務資料などを作成します。ここで売却スキームや想定スケジュールが具体化されます。
匿名での案件紹介を通じて買手候補が募られます。価格条件だけでなく、運営方針や人材に対する考え方などを踏まえ、面談に進む候補先を絞り込みます。
売却側経営者と買収側経営者が直接会い、経営理念や事業に対する考え方を確認します。売却側にとっては、「誰に任せるのか」を見極める極めて重要なプロセスです。
TOP面談を経て信頼できる相手と判断した場合、譲渡価格や引継ぎ条件、役員の処遇など、具体的な条件交渉に進みます。
条件の大枠が合意に至ると、基本合意書を締結します。法的拘束力は限定的ですが、「この相手とM&Aを進める」という意思決定を固める重要な節目です。
買手による詳細調査に対応します。財務・労務・運営・行政対応など、施設運営の実態を正確に開示し、信頼関係を維持することが重要です。
デューデリジェンス結果を踏まえ、最終的な譲渡条件を確定し、最終契約を締結します。ここで売却条件が正式に確定します。
契約締結後、行政手続きや職員・入居者への説明を行い、事業が正式に引き継がれます。一定期間、売却側が運営をサポートするケースも多く見られます。
買収側(買手)のM&A手続きと流れ
買収の初期段階では、まず自社の成長戦略や中長期ビジョンを整理します。エリア拡大を目的とするのか、入居系サービスを強化したいのか、人材確保を重視するのかによって、検討すべき施設の種類や規模は大きく異なります。買収が自社全体にどのような価値をもたらすのかを明確にすることが、その後の判断の土台となります。
戦略に基づき、M&A仲介会社などを通じて案件情報を収集します。立地や定員、稼働率、収益性といった表面的な数値だけでなく、自社の運営体制と無理なく統合できるかという視点で初期検討を行います。この段階では、複数案件を比較検討するケースも一般的です。
関心を持った案件については、売却側経営者とのTOP面談が行われます。M&Aアドバイザーも同席し、双方の経営陣と円滑なコミュニケーションを取りながら交渉が合意に近づくようにご支援します。ここでは価格条件の話に入る前に、経営理念や施設運営に対する考え方、人材や入居者への向き合い方など、相互理解を深めることが重視されます。面談を通じて問題がないと判断した場合に、具体的な条件交渉へと進みます。
条件の大枠について双方の合意が得られた段階で、基本合意書を締結します。この合意書は法的拘束力が限定的ではあるものの、当該案件について優先的に交渉を進める意思を確認する重要なプロセスです。
基本合意後、買収対象施設に対するデューデリジェンスを実施します。財務状況に加え、労務管理、運営実態、行政対応状況、設備の老朽化などを総合的に確認し、想定外のリスクがないかを精査します。介護施設M&Aでは、数字以上に「現場の実態」を把握することが重要です。
デューデリジェンスの結果を踏まえ、金融機関との融資交渉や自己資金の手当てを進めます。同時に、調査で判明した内容を反映させながら、最終的な価格や条件の調整が行われます。
すべての条件が確定した段階で、最終契約を締結します。契約書には譲渡価格や引継ぎ条件、表明保証など、取引の詳細が明記され、法的にも正式な合意となります。
介護施設の買収では、都道府県や市町村といった指定権者への事前相談や届出、指定変更手続きが必要になります。スムーズな事業承継を行うためには、早期から行政との調整を行うことが欠かせません。
契約締結および必要な行政手続きが完了すると、クロージングが行われます。これにより、施設の運営主体が正式に買収側へ移行します。
買収後は、職員への説明や運営方針の共有、業務フローの調整など、運営統合(PMI)が進められます。介護施設M&Aでは、買収後の現場安定が成否を左右するため、丁寧なコミュニケーションと段階的な統合が重要となります。
これらの手続きは一般的なものであり、具体的なケースによっては手続きが変わることがあります。弁護士や専門家の協力を得ながら進めることが重要です。
★譲渡先を選んだポイント★
地元で有名な企業であり、自社の社風を大事にしてくれることに感銘を受けられました。譲渡後は対象事業に残留し、引継ぎ等をサポートをされています。
★事業を譲受した理由★
運営内容が非常に良く、自社のサービス向上にも寄与してくれると考えられました。
買手によるデューデリジェンスの過程では、売主様にとって精神的なご負担となる確認事項や指摘も少なくありません。本件においても、売主様が心情的に受け止めづらい場面が複数ありました。
そこで当社は、単なる実務対応にとどまらず、なぜこの確認が必要なのか、M&Aの本来の目的は何かを都度整理し、売主様と丁寧に共有することを重視しました。その結果、売主様と買手様が同じゴールを見据えながらプロセスを進めることができ、最終的な合意へとつなげることができました。
交渉過程では、買手側から複数回にわたり価格に関する調整要望が提示されました。その都度、感情的な対立に発展することを避けるため、当社が間に入り、冷静かつ建設的な話し合いの場を設けました。
具体的には、事業計画の作成や利益構造の整理を当社が支援し、現状の収益性だけでなく、将来性や改善余地についても可視化しました。数字と根拠をもとに議論を重ねることで、売主様が納得できる条件を維持しながら交渉を進めることができ、結果として双方にとって納得感のある成約に至っています。
介護市場は、今後も需要が見込まれる一方で、人材不足やコスト増、経営管理の高度化といった課題が避けられない局面に入っています。
特に入居型介護施設においては、「施設があるだけ」では経営を続けられず、誰が・どの体制で運営するかがこれまで以上に問われる時代になりました。
こうした環境の中で、M&Aは単なる拡大戦略ではなく、
の手段として選ばれています。
売却・買収のいずれの立場であっても、重要なのは「いくらで取引するか」だけではありません。施設の特性や地域性、人材状況を踏まえ、中長期的に安定した運営が可能かどうかを見据えた判断が求められます。
M&Aは、検討を始めたからといって必ず実行しなければならないものではありません。しかし、早い段階から選択肢として理解しておくことで、将来の意思決定に余裕を持つことができます。自施設のこれからを考えるうえで、本コラムが一つの指針となれば幸いです。
株式会社CBパートナーズは、医療・介護・福祉業界に特化し、承継問題の解決に取り組んでまいりました。
専門アドバイザーの豊富な実績とノウハウを有しており、介護施設の買収や事業拡大を検討される際には、安心してご相談いただけます。
マネージャー
T.FUNAMOTO
作成日:2024年3月21日
